人の信用とは
これまで、知らず知らずのうちに他人からの信用を失い、だんだんと孤立していった過去を思い出し、今ここにいる人達もいつか私を見限るのではないか、これから出会う人達もそうなのであればもう新しい出会いなどいらない!なぜ私は他人からの信用を失う自分自身の行為に気付けないのか!などと、過剰に怯え、自分を信じることができずにいた。
今はどうか?
改めて時間を取って自分自身を見つめてみるべきだろう。
が、それはさておき、今回の本題へ。
約1年前に陸自を除隊して地元に帰ってきてから、自由な時間が増えたこともあり、いろいろな方面から創作活動などへのお誘いを頂き、様々なことに挑戦してみた。
お陰様で、半年ほど経った今では、ある程度「自分が本当にやるべきこと」とそうでないことの分別を付けることができたと思う。
しかし、中には最初の美辞麗句だけでいざ私が乗ってからは何もかも完全に私任せ、何の戦略もなく朝令暮改で行き当たりばったりという酷いものもあった。
当初は憤りや怒りなどを感じていたが、大抵そういう人達は「自分がやった事への自覚」が無いことが多く、そのうち無駄だと感じるようになり、縁を切った。
そして改めて振り返ってみて、今度は私が「他人を信用できなくなる」立場に立っていることに気付き、ああいつかの彼らもこんな気持ちだったのかな…などと余計なことを考えてしまった。
また、他人を信用できなくなるということは、少なからずその人に期待していたという事実の裏返しなのかな…とも感じた。
結局、どんな行為が他人の信頼を失うかなんて、人によってそれぞれ違うし、全てを定量化することはできないだろう。
ただ、いつまで経ってもそれに無自覚でいるわけにはいかない。"彼ら"のように分からないまま生きていくなんて、私には無理だ。たとえ傷つくものだとしても、分かりたい。
悩み、考え、思いやり、過ぎゆく今をいつか大切に思えるように、生きていきたい。
「諸行無常」の如く、人の心は移ろい、いつか人は変わってしまうもの。来年にはまた違うことを言っているかもしれない。
だとしても、時間は平等に流れてゆく。
何かを失いながら、新しい風を感じる。
いつか私は明日という日を思い出すだろうか。
明日は何を学ぼうか。教科書のどこまで行こうか。
最近はそれを楽しみにして、眠りにつくのです。